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TIGER WOODS
天才、タイガー・ウッズの魅力
Tiger's Episode 1999.3
タイガー・ウッズ☆「同じ轍は踏まない」。
1999年3月8日、ついにフラフとのコンビを
解消したタイガー。思い起こせばフラフが
正式にタイガーのエースキャディとして
スタートしたのが、1996年の10月24日。
それ以前はフラフはジェイコブセンの専属キャディ
として長い間コンビを組んでいました。
当初は腰痛で欠場した時にだけタイガーのキャディを
勤めていたフラフ。賞金の約10%位が
サラリーのキャディにとって欠場は収入が
ないことを意味します。確定する前は
ジェイコブセンも「腰痛持ちの42歳より
将来有望な20歳を選ぶのは当然」と言っていたのに
実際には結構後まで尾を引いていたようで、
新キャディを選ぶに当たってタイガーは同じ思いは
避けたかったようです。新キャディの候補に
V・シンのキャディの名前も上がっていましたが、
「同じ轍は踏まない」ように気を付けたということでしょうか?
新キャディのウィリアムスはツアープロだったことも
あるそうで、これからタイガーの強い味方となってくれそうですね。
タイガー・ウッズ☆「16歳の感想・・・???」。
1999年2月、「ニッサン・オープン」に
出場したタイガー。この大会はタイガーが
16歳の時、初出場したプロの試合と思い出の
多い大会。アマチュアでの出場としては
当時、最年少で話題の的でした。その時の感想を
求められたタイガー。「あの時、僕は
D・ラブVよりも17打も後だったんです。
『あぁ、先は長いなぁ』と思いました。」と
コメント。その時ギャラリーが何よりも驚いたのは、
当時飛ばし屋として有名だった
D・ラブVのドライバーとタイガーのスプーンの
飛距離が同じことでした。恐ろしい16歳・・?
タイガー・ウッズ☆「いつになったらゴルフに専念できるの???」。
1999年3月、フラフとの「コンビ解消」疑惑で
身辺の騒がしいタイガーですが、
「P・ジェイコブセンのキャデイだったフラフを
タイガーのキャデイにした仕掛け人が
B・ハーモンで、今回の騒動もハーモンが
画策している」という噂もあります。昨年、
タイガーの当初の希望「ゴルフ専念」の
スケジュールよりも金銭優先だったエージェントを
解雇したタイガー。13歳の頃からの親しくして
いた人物を切ることは辛い決断でした。
それも全てはゴルフ中心のスケジュールを組み、
勝つためだったのにいつになったら
ゴルフに専念できるのでしょうか?なにしろ
匿名を条件にした某キャディの証言として
「『ニッサン・オープン』の時タイガーは
自分でヤーデージ・ブックを使用していた。
これは選手とキャディの間柄としては最悪の状態」と、
タイガーの周りには敵も多いようです。
がんばれタイガー。
タイガー・ウッズ☆やはりファンあってのトーナメント。
1999年2月の「世界ゴルフ選手権:
マッチプレー」の試合形式について疑問の声が
あがっています。試合は主催者側の思惑を
ハズレて準決勝の段階でビッグネームの選手が
一人も残らないという思わぬ事態になりました。
主催者側は「大会は大成功」と言いますが、
TVの視聴率は正直です。タイガーが優勝した
「ビュイック・インビテーショナル」が
6.4なのに対して、破格の賞金にも
かかわらず4.2。日曜日のギャラリーの入りも
3分の1とビッグイベントとは思えない展開に。
これでは協賛スポンサーも高額賞金を
出すメリットがなく、せっかくスタートした
「世界ゴルフツアー構想」自体が消滅の危機に
なりかねません。やはりスター選手には
世界ランクに応じた扱いとしてシードを与え、シード
8人と勝ち上がりの選手8人で準々決勝を
進めた方が良かったのではないでしょうか?
高額の賞金を支えるものはやはりファンの存在。
ちなみに同じ週に開催された「ツーソン・
オープン」も以前マッチプレーに変更して
ギャラリーの足が遠のき、2年でストロークプレーに
戻したことのあるいわく付きのトーナメント。
ストロークプレーと違い、何が起きるかわから
ないのがマッチプレーの面白さですが、
やはりファンに会場へ足を運ばせるような
試合形式で在って欲しいものです。
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